いけなばを始めて1年の初心者が綴る雑記:正直バリつらい「いけばな」~癒しを求めたはずなのに~
ブログなんて中学生以来!!
不慣れだし、めんどくさがりだし、三日坊主なのに、ブログを始めます!!
その一番の動機は、
いけばなが辛かったから!!
です。
約1年前の2020年10月、近所のカルチャーセンターの門をたたいて、いけばなのお稽古を始めました。流派は「池坊」。由緒正しい「いけばなの根源」です。
当時はコロナでまだまだ先が見通せない状況で(現在も見通せないことには変わりないですが涙)、新しい環境で落ちこぼれ大学院生をやっていた私はからっからに渇いた心を持て余していました。
せっかく環境を変えたのに、毎日授業は家から受講し、友達もいない。
授業はたいそう難しい。
読むべき大量の書籍に圧倒されながらも、研究テーマすらきちんと定まらない。
家に籠り続ける日常と、どう付き合っていけばいいか、よく分からない(そもそも籠るのが合わないと後に気付く)。
就職活動もしているが、とても孤独で、とっても偉い「御社」に翻弄される日々。
同年に学部を卒業した同期は頑張ってお仕事をして、社会の役に立っているというのに!!
地元の神社に救いを求めて参拝に行くほど、こころに「渇き」を感じていました。
何か鮮やかで、みずみずしく、彩りあるものを強く求めていました。
そして安直に、いけばなを始めたのです!!
明るく咲く花に癒しを求めて。
干からびたこころに、潤いを与えなければ。
モノトーンの日常に、色を付けなければ。
焦りのようなものがあったと思います。
そんな経緯で、セラピーの一環としてはじめたいけばなでしたが。。。
いけばなってむずかしい。。。!!!
思っていた以上にいけばなは手強かったです。
癒されている場合ではない。
目の前にある、たった今自分がいけた花は、あまりに多くのことを語っています。
それ以前に、いけている過程が、まさかの就活以上の内省タイム。
毎回1作品いけるのにリアルに2時間かかり(ちなみに今も)、
終わるころにはへとへとです。
向き合う相手が「いきものである」という事実が、私に不遜な態度を取ることを許さないのです。
「儚い命の花だから、美しくいけなければ」という重責。
美しい草花にハサミを入れる戸惑い。
「不要なもの」を切り落とすという残酷さ。
「花の表情を読む」ってどういうこと?
正直、よくわからない美の基準。
全然思い通りに剣山に刺さってくれない花と、
思い通りに切れてくれない花鋏。(刺し傷と血豆が痛い)
先生の手直しに納得できないもどかしさ。
苦しいところを挙げるときりがありません。
癒しのためにいけばなをするには、いけばなが突き付ける課題は多すぎたし、私はあまりにも真面目過ぎました。
それでも、、、お稽古がやめられず1年が経とうとしています。
本当によく分からなくて悩むばかり。
だけど、私は何か大切なことを学んでいる気がする!!
という確かな感覚があるのです。
その「何か」に向き合いたい。
今逃げてはいけないような気が、漠然とながらするのです。
また事実、美しくいけられた花をみると本当に心が動いて思いがけず元気になります。
何より、物を言わぬ花が伝えてくるあらゆるメッセージが、
いけた花が残酷なまでに映しだす自分の美醜、それに向き合わされる時間が、
ゆっくりと私の内面の成熟を促して、いつの間にか焦りいら立つこころを落ち着かせてくれていることに気付いてしまいました。
なので今週も、わたしはお稽古に通います。
このブログでは、こんなへっぽこいけばな初心者が、いばらのいけばな道で迷い、疲れ、時に癒され、自分と向き合う足跡を残していきたいと思います。
いけばな以外のことも書いていきたいですが、雑多なブログになりそう(^◇^)
悩むところでございます。
それではまた✿